※むかし書いたブログで面白いのがあったので、こちらにも掲載しときます^^
http://plaza.rakuten.co.jp/kitadesign/
最近読んでいる本によると、
人間と動物を区別するギリギリ決着のボーダーラインは
「愛」と答えたくなるところですが、
我が子を思う愛おしい気持ちは、動物だってあるんです!
それで、どの辺がギリギリラインかっていうと、
「敬う」と「恥じる」気持ちという事らしいです。
例えば、大自然の恵みや天災、優れた人徳などに触れると
尊いものや大いなるものに対する感覚「敬う」と
いう気持ちが出てきます。
ほんでもって、物事は相対的に存在してるので、
今度は自分を省みて「恥じる」という気持ちが生まれる。
言い換えると、「敬う」と「恥じる」気持ちがない人は人間ではない。
ということだそうです。
へえー。
だから人間だけが「洋服」と「宗教」を持ってるんです。
まぁ最近は犬も服着てますけど☆ 犬は微妙な顔してますもんね。
逆に服を着たがる動物があらわれたら、人間もあやういですね。
もう一個その続きでヘエーーと思ったのが、
人間は「敬う」気持ちが生まれると「参る」そうです。
日本には、この「参る」に素敵な使い方があって、
男性が女性に対して「俺はあいつに参った」と、
愛情を表現する時に使うんです。まあちょっと古い気もしますけど。
「参った」は、相手を敬い尊敬するという意味なんです。
日本人にとっては、「ラブ」よりもゼンゼン深い表現ですよね。
こりゃあ、なくしちゃイカン!!
日本人は勝負に負けても「参った!」と言います。
勝った相手を尊敬して敬う気持ちを表すんです。
よく考えると「~して参ります」とか日常的に
相手を敬う言葉があふれてます。
言葉は意味を知って使うと、また違う重みがありますなぁ。
あっ、今日服着てくるの忘れた。
キタデザインでした!